2022・06 リカバリーを目指して
私、上野真城子は一昨年、TIA(一過性虚血発作)に見舞われて、体調を崩し、しばらく、UCRCA の更新を休みました。お詫びします。 この半年ほどで、良き医者と医薬(医薬の進歩は素晴らしいものがあるようです)、そして周囲の援助で、意識と意欲が従前の状態に戻りつつあります。 一方、世界は、コロナ禍と闘いながら、民主主義社会の価値観と文化の変革を人々に促しているようです。 どう生きるのか、何を考え、何をなすべきか、何が出来るのか、今、身の回りで、今の課題に取り組んでいる方々に、記事をお願いしています。このウェブサイトにやれることを。細く遅くとも、かたつむりのごとく、問い続けてみたいと思います。
2021・01~02
新型コロナウイルスが中国武漢から発症してから1年を経た。1月末感染者数は累計で1億人を超え、死者は215万人という。世界が一体となって、人類共通の敵に立ち向かう。その努力も、グローバルに共有されているということができる。もちろん、各国の利己的な動きもあるだろうが、一国主義では長期的に問題解決はできない。科学を基とするこの感染症との闘いは、ある意味で、平和を必要とする。人間の愚かしさが生みだした、多分完全な勝利のない闘いは、少なくとも短期的な平和に貢献するだろう。もう一つの闘いは、環境破壊阻止である。これもあらゆる個人と企業、国家が取り組まなければならない。一刻の猶予もない。環境の劣化はまさに私たちの時代の結果である。便利さ、快適さ、容易さ、消費の快楽に突き動かされ、きれいな生活が、豊かさの象徴として宣伝され洗脳された。私たちのアクションは、こうした生き方を見直し「必要な撤退」をする中で、謙虚に自分自身と社会の在り方を模索し続けることではないだろうか。
2020.09
酷暑の夏がようやく朝晩の風に追われている。2020年の夏は、コロナ感染症によって、人々は、社会は、「動かないこと」、アクションをひかえることなどと、自粛生活が求められた。萎縮を余儀なくされたと言える。そして8月28日、安倍総理大臣の辞任が表明された。 社会の改革が山積するなかで、政治の季節が始まる。私たちがこの秋にできることは、政治を見据え、まずは迫りくる不況の波から、自分と家族を守ること、考えること、足元から、ひとつでも、変えられることを変える、そうした勇気と努力を始めることだろう。
2020.06
2020年3月11日、世界保健機関(WHO )は新型コロナウイルスによる感染症(Covid-19)の拡散状態に対して、「パンデミック」の状態として認定し「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言。 感染症対策を定めた国際保健規則に基づく最高レベルの注意喚起をした。日本においては、3月16日に特措法に基づき、全国に緊急事態宣言が発令されたが、5月25日には全国で宣言が解除された。
2020.03
コロナ感染症の全国的な波及が止まらない。いつの時点で終息するかは極めて不確実といえる。 少なくとも3月末まで外部での交流は無理と考えられる。
2020.01~02
コロナ感染症の発生と拡大の情報から、各種の会議・会合が中止ないしは延期された。また個人的な判断において、会合を取りやめている。
2019.12.07
上野(M&H) 日本評価学会にて研究発表
2019.011.25
上野(H)IFI 勉強会主宰(衆議院議員会館にて)
2019.09.16-21
上野(M) 防潮堤資料収集のため、仙台、気仙沼大島へ再再度調査旅行。
2019・08・12-08・18
上野(M)気仙沼・大島行き防潮堤評価、島の人々との面談・交流
2019.06
上野(H&M)参議院議員会館にて、第16回 IFI勉強会。 上野(M)宝塚シンクタンク研究会、東京にて再開始動検討。 上野(M)ワシントンDCより帰国 上野(M)ワシントンDCにてシンクタンク、研究者等、多方面での情報収集。
2019.05.11-06.01
上野(M) ワシントンDCに滞在。 シンクタンクの動向に注目。
2019.04.24-25
上野(M)、気仙沼大島行き。島内の防潮堤18か所の評価 熊谷雅裕氏の協力を得る。
2019.04.23
上野(H&M)IFI 勉強会、衆議院議員会館
2019.03
閑話:逗子より民主主義を考える。さくらとハナミズキ:尾崎行雄の遺したもの。
2019.02.08-11
上野(M) 気仙沼訪問。復興の過程を見る。 上野(H) IFI 広報活動。
2019.01.01
新たな年、世界の右傾化、欧米諸国と日本のナショナリズムの復興に、耳をそばだて、時代を見つめる。
2018.12.02
上野(H) 日本評価学会全国大会(横浜国立大学)国会の政策分析・評価機能強化のための独立財政分析機関(IFI) の国会への付置パネル参加。
2018.11-12
上野(M) 逗子にて活動。 上野(H) IFI 設立推進活動、勉強会の主宰。日本評価学会、国際開発学会等でのプレゼンテーション、パネル等ディスカッション
2018.09-10
上野(M) ワシントンDCに滞在。 アメリカのデモクラシーの混迷とシンクタンク動向、中間選挙への市民の動きを知る。
2018.07-08
7月18,19,20 日、気仙沼、大島、復興7年半人々と、防潮堤を見る。 森田医師訪問。 仙台にて復興住宅に関する研究会参加。 関学長峯先生と会談。8月再訪予定。
2018.07
7月2日より3日間韓国で開催されるOECD IFI/PBO 会議参加のため上野(H&M)ソウルに出張。
2018.06
日本に独立財政機関(IFI) 設立提言作成のため、賛同者の発掘、協力、合意形成のための多くの会合、研究会を実施。
2018.03.31
宝塚シンクタンク研究会、逗子にて開催
2018.03
宝塚シンクタンク研究会@逗子開催予定
2018.02
上野(M)帰国 アメリカン・デモクラシーの動向分析に着手
2017.11-2018.02
上野(M)ワシントンDCにてアメリカ社会検証
2017.12.16-17
上野(H)日本評価学会にてIFI研究発表
2017・11・15-18
上野(M) 気仙沼、大島復興調査と関係者と介護士導入の可能性検討。
2017.09.18-24
モンゴル研修旅行実施 島末研究員の国際学会発表と上野(M)のゲル地区視察、介護士実習生制度の可能性検討
2017.07.23
政策評価研修、逗子本部にて
2017.07.08
若杉論文出版検討、第三者評価会(新横浜にて)
2017.06.24
関学上野ゼミ卒業生をUCRCA部会として組織:LINEでの連携
2017.06.08
上野・島末、介護士導入の件、秋のモンゴル訪問についての打ち合わせ(羽田にて)
2017.05.06
関学上野ゼミ卒業生、逗子にて情報交換会
2017.04.28
研究室新体制打合せ(東京にて)
2017.04.01
新研究体制スタート。
2017.3.11
逗子にて研究総会開催。規約改正、新研究体制承認。
2017.3.09
某大学研究会にて、上野(M)小野がそれぞれ「アメリカ社会政治の変容」を報告発表。
2016.12.17
宝塚シンクタンク研究会、宝塚若水にて開催。極めて有効な情報交換と議論。
2016.12.13-15
上野(M)、阿久津、気仙沼にて介護士受け入れ可能性の検討、Dr..M 氏との会合。 大島防潮堤建設状況視察。
2016.11.26-27
上野(M),上野(H)、日本評価学会17回全国大会参加発表。
2016.11.19
唐沢敬先生,国際研究インスティテュート主催、「政策形成と女性」 パネル・ディスカッションに上野(M)、池上雅子氏と参加。
2016.09
09/07-09/14 UCRCA 上野(M), 島末、阿久津、芝辻チームその他多彩な専門家集団でモンゴル研修旅行実施。
2016.08
上野ワシントンDC 滞在。シンクタンク情報の収集。 G. Kopits 氏よりIMF Working Paper、「IFI: 日本への提言」を入手。
2016.07
9月にモンゴル・スタディー・ツアー予定。
UCRCA は上野(H&M) の転居により本拠地を 神奈川県逗子市に移動。今後UCRCA研修、 ワークショップ等を逗子にて開催の予定。
2016.04
上野(M)某経済団体からの要望で、IFI設立に関するプレゼンテーション。
2015.11
上野H&M、統計研究会ECO-FORUM特集I独立財政機関を考える、寄稿。
2016.01
復興5年目を迎えて、被災地に何が起こっているのかを 熊谷雅裕氏に防潮堤事業の展開を中心に寄稿依頼。
2015.12
上野H&M日本評価学会(沖縄)で研究発表
2015.12
ADBIのセミナーのために来日のDr.George Kopits と上野H&M会談。IFIについての討論。
モンゴル、Badruun Gardiのコミュニティー開発イニシャティブ「GerHab」への協働を検討
2015.10
上野(H & M)日本評価学会大会(12月沖縄)発表予定。
2015.09
上野(H), 上野(M)、Eco-Forum 記事入稿。若杉研究員病再発治療リハビリ中。研究著書出版検討する予定。
上野(M)ワシントンDCにて、シンクタンク研究者、IFI研究者とのインタビューおよび、各種調査に従事。Woodrow Wilson CenterのDr. Kopitsの来日の可能性を固める。
名古屋大学付属高校文化祭にてUCRCA寄贈のゲル展示。
2015.08
上野(M)ワシントンDCにて1か月半にわたり、研究交流活動。シンクタンク情報の収集。
UCRCA、モンゴルプロジェクト会議兵庫県三田にて開催。来日中の近彩先生と島末、阿久津、芝辻、渡邉。介護士受け入れの検討。
2015.07
東京財団にて術科学校「シンクタンクと政策評価に関する研修」をプロボノ活動として開催。
気仙沼大島ハーティーケアにミシン・布・裁縫道具の送付。コミュニティー再生への微力支援。
2015.06
UCRCAはEast West Centerによる3年間にわたる被災後コミュニティー日米草の根交流 プロジェクの日本側パートナーとして参加要請された。 初年度は6月末仙台、宮古、神戸を2週間にわたり、日米代表団10余名と 調査交流旅行を行う。
2015.05
研究顧問(上野H)、上席研究員(上野M)は5月30日日本評価学会春季大会で 論文発表。顧問は共通論題セッション「評価のガバナンス」座長廣野良吉成蹊大学 名誉教授に参加登場、この課題は今後極めて重要性を持つだろう。
2015.03
モンゴル・ゲルを名古屋大学付属高校へ寄贈 SibaServiceスタッフと名大法学研究科のモンゴルからの留学生アンハさん、プレブさんの協力を得て、大移動完了。 今後高校生の国際交流活動の一環として使われる予定。
上野M名古屋にて、阿久津研究フェローと 人材受け入れの可能性について検討会議を持つ。
2015.02
上野M東京にて活動 宝塚シンクタンク番外編。京王プラザホテル 唐沢敬教授による石油と世界経済の動向について。
上野M東京にて活動 映画「日本と原発」に学ぶ勉強会。 京王プラザホテルにて制作協力者木村結氏。 坂入ゆり子、林和子、小野恵子、高橋野枝諸姉参加
2014.11
11月上野H,上野M、日本評価学会発表(大阪大学吹田)
2014.09-10
9月ワシントンにてDr. Kopits、Dr. Steuerle と会談、日本にIFIを。 シントンにて「気仙沼大島のおばちゃんと心の糸をつむぐ会」 モーマン宅にて。 東京・安倍昭恵夫人と公邸にて面会。研究参加協力を依頼了承。 気仙沼大島みらい会参加。 宝塚シンクタンク研究会開催。 10月訪モンゴル、都市環境医療調査研修団(島末、市村、上野、芝辻)オユン大臣会見、駐蒙日本大使会見
2014.07-08
上野(真)ワシントン滞在。ワシントンシンクタンクの近々の動きを調査。政策形成産業のますますの発展に触れる。ワシントンの日本人を中心に気仙沼大島のおばちゃんたちに関わってもらうきっかけ作りに奔走。被災地支援の新しいアイデアを模索中。 9月には宝塚シンクタンク研究会の開催予定。10月には島末研究員とモンゴル旅行、介護士交流の検討予定。
2014.05
被災後コミュニティーの今上野は震災後2014年5月まで14回の気仙沼・大島訪問を続けている。 国と県の復興計画の矛盾が見えてきている。これからの島民の取り組みの過程を見続けていく。
宝塚シンクタンク研究会、若水にて開催
2014.04
Dr.JeanRenshawが気仙沼・大島および福島相馬市を取材、訪問全面協力。被災地の今を知り、特にそこに生きる人々との出会いに感銘をうける。記事論考は近々出版する
2014.03
清水GPI主催、京都リトリートに上野参加。「レジリエンス」とは何か。
日本NPO学会にて上野、パネラーとして参加。グローバル市民社会は何処に向かっているか。モンゴルの市民社会研究をベースに発表
2014.03
上野、福島、陸前高田等訪問。
2014.02
大阪大学山内先生の「市民社会国際比較研究」のモンゴル執筆終了。
椿だより8 萩かなえ
東日本大震災から12年が経ちました。 復興には10年かかると言われていましたが、12年が過ぎてもまだまた空き地も多く、そしてひとの心の復興はどこまで進んだのか…と思います。 それでも皆逞しく前に、未来に向かって進んでいる。元気に走って家に向かう、下校中の小学生たちを見ていてそんな気持ちになりました。 気仙沼大島には中学校と小学校がありました。今は小学校だけが残っていて、中学校は昨年廃校になりました。橋を渡った隣の地域の中学校に統合され、島の生徒達はスクールバスで通っています。 私の母校でもあるので廃校は淋しいものがありました。しかしクラスメイトが数人しかいない事も問題です。たくさんのクラスメイトがいて一緒に勉強や活動が出来る統合の方が、前に進む選択なのかも知れません。 校歌や校章は統合先の中学校のものが継承されました。そのため、閉校式では在校生が最後の校歌斉唱をしました。 大島中学校の校歌は、作詞が大島出身の歌人である水上不二(みずかみふじ)さん。 作曲は芥川也寸志(あくたがわやすし)さん、芥川龍之介の三男です。 子供心にも素晴らしい歌詞であり曲だと思っていました。一番の歌詞だけですがご紹介します。 波におどる太陽 かもめは雲と羽ばたく 太平洋 朝をよぶ風 この空 みどりの亀山 松の歴史 創造ひとえに われら学ばん 大島中学 理想ははるけし
歌い出しがすがすがしく、希望を感じる歌詞でした。太平洋に向かって浮かぶ大島の解放感を感じる歌詞だと思います。とても好きな校歌でした。廃校になって校歌も歌われなくなってしまいましたが、校庭に歌碑が建てられました。
これからはどこの地域でも学校の統廃合が進み、廃校が増えると思います。 大島小学校の今年の新入生は3人とか…、私達の入学の時は95人いましたから、大変な少子化です。 感傷的になる事も多くなりますが、それでも未来に向かって希望を持ち続け、笑顔で生きていく事、そんな姿を子供たちに見てもらいたい、伝えていきたい、それが大人の役割だとあらためて思います。 廃校になった大島中学校の施設は、これから利活用のための改築や整備がされていく予定です。 1階には公民館を移転させ、2階にはICT拠点となるシェアオフィス等を気仙沼市が計画しています。 校舎の3階は見晴らしが良く太平洋が望めます。NHKの朝ドラ「おかえりモネ」のロケ地にもなった校舎です。観光振興にも活かせるかも知れません。 住民や観光で訪れる方やシェアオフィスに入居される方、皆が集う場所になれば、新しい大島が生まれる拠点になっていくことと思います。 亀山からの眺望
椿だより 気仙沼大島の星空 萩かなえ
もうすぐ9月、朝晩は秋の空気を感じるようになりました。 夏の間、大島の小田の浜海水浴場はたくさんの観光客で賑わいました。 皆さん海をめがけて大島を訪れます。やはり島と言ったら海が主役なのだと思いますが、大島は空がとてもきれいです。私は大島の空にいつも癒されます。 太平洋から昇る朝陽、晴れた日の澄み渡った青空、海の向こうの山並みに沈む夕陽と夕焼け雲、そして何より満点の星空、天の川、大島の星空はぜひ見てもらいたい美しい情景です。 空気が澄んだ日の星空は、大島で生まれた私でさえ、飽きることなく見上げ続けてしまいます。 海に囲まれているからでしょう、大島から見上げる空は大きく、星の動きも良くわかります。 流れ星の時期にはいくつも見つけることが出来ます。 星空を見上ると、果てしのない宇宙を思います。人間という存在の小ささを思い知らされます。 自分も、壮大で未知なる宇宙の一部であることを受け入れた時、心が癒されるのかも知れません。
大島のどの場所からでも美しい星空を見ることが出来ますが、やはり亀山山頂がお勧めです。 山頂には人口の光が無く360度見渡せるので、天然のプラネタリウムのようです。 気仙沼湾の夜景や、遠く太平洋に浮かぶ漁火を見ることも出来ます。 昨年放映されたNHKの朝ドラ「おかえりモネ」は気仙沼大島が舞台で、主人公モネたち同級生が、亀山に登りみんなで手をつなぎ、UFOが来るのを待ったというエピソードがありました。 私も中学生の頃友人と、星空を見ようと夜の亀山山頂を目指したことががありました。でもあまりにも暗く、怖くて途中で引き返したのを憶えています。 今はInstagramに亀山からの夜空の写真が投稿されることも多くなりました。気仙沼観光協は、亀山への星空観賞ツアーを企画して大島の星空を売り込もうとしているところです。
気仙沼観光協会の「気仙沼星空プロジェクト」が作成した動画では、大島の星空の魅力が発信されていて「ユーチューブ」で公開されています。 【日本一星空が綺麗な港町【気仙沼】/ SDGsアドベンチャーツーリズム気仙沼〜気仙沼大島星空編】 https://www.youtube.com/watch?v=XUxWDvS-8ho
亀山山頂からの景観は、多くの大島島民が、一番に守りたいものとしてあげています。 太平洋を望む眺望が素晴らしく、リアス式海岸を海側から眺められる場所でもあります。 東日本大震災前には、ふもとから山頂付近に向かう夏山リフトがありました。 風を感じながら、揺られながら望む景色も素晴らしく、大島らしい、ゆっくりとした楽しい乗り物でした。悲しいことに東日本大震災で被災し、津波と火事とで破壊されてしまいました。 リフトに変わる山頂へのアクセス手段として、気仙沼市がモノレールを整備しようと計画しています。 モノレールは通年運行、そしてイベント時には早朝や夜間も運行する計画との事です。 2024年度開業の予定でまだ少し先ですが、完成した暁には亀山山頂からの満点の星空を多くの方に楽しんでもらえると思います。
夏空 大島 浦の浜港
夕焼けに染まる空と海 亀山から気仙沼湾を望む夕景 夏空 大島 浦の浜港 夕焼けに染まる空と海 亀山から気仙沼湾を望む夕景
数日前に、TVで、キューバ危機を回想するドキュメンタリーを見た。そこに、ケネディーとロバート・マクナマラの映像があった。思い出したのは、90年代、日本に独立シンクタンクをつくろうとした我々の努力のことだ。 シンクタンクは、最も基本的に考えなければならない、個人の自由と権利の確立の上に、国家と世界の安全、人類の生存に関わることを、国家の優先課題とその選択肢を継続して議論し、継承し、記憶し、市民を政治家を説得し、運動する、複数のチームが存在する組織体である。それはバーチャルなものではすまされない。物理的時間と空間を共有し、情報と記憶を継承する必要がある。国家の優先性の判断は、一票の責任を超えて、自分の身の丈の民主主義を超える思考と行動を求めるものである。この思考と機構がなければ、国家も社会も脆弱になる。マクナマラが危惧したのは、国家の安全保障、環境問題であり、特に核拡散の問題にあった。ことに核廃絶に向かっていかに国家と国民が議論できるか、彼はその能力を市民社会にそして、シンクタンクに求めた。マクナマラに私は多くを教えられた。 日本には、いまだ、真に独立的で、厳密な実証研究と社会的価値の探求に基づくシンクタンクは希少である。 私はいま、人生を終了するときを迎えつつある。物理的な存在は別として、意識の明瞭な時間がどれほど残されているかはわからないが、明らかに自分の様々な能力が落ちていくことを認識している。人生とはやり残して逝くことと思う。少しでも、私のNPOとシンクタンクの考え方が、社会を変える力になったとしたらうれしい。
椿だより6 「 3月11日 」 萩かなえ 2022年3月 今年も3月11日を迎えます。 毎年3月になると、さまざまな思いを抱きます。11年前の3月11日、私は気仙沼に住んではいませんでした。気仙沼であの惨禍を経験した方々が、この日をどんな気持ちで迎えるのか…どんな言葉をかけたらいいのか、もどかしいような自分がいます。 あの日…多くの尊い命、住み慣れた家、自家用車、船舶、たくさんの大切なものが失われました。 失ってしまったものは人それぞれで、比べようもありません。何も失わなかったという人はいないでしょう。大きな衝撃、辛く深い喪失体験だったと思います。 新しい住居が完成し、新しい街が出来始めても、心の復興はまだまだだと感じます。いまだに波の音が怖いという方もいます。
11年が経ち、気仙沼大島の沿岸部では、ほとんどの防潮堤が完成しました。海沿いの道から眺められた美しい風景は見えなくなりました。すっかり変わってしまいました。 個人的には巨大な防潮堤で囲むことが一番の防災になるのかどうか、疑問を持っています。 海が見えないことが、有事に不安をもたらさないだろうか…とも思います。 防潮堤より、逃げる道路を整備してほしかった、という話もよく聞きます。意見は様々です。 大島の二つの砂浜、海水浴場でもある小田の浜と、波打ち際が美しい田中浜では、大きな防潮堤は築かれず、広い範囲で防災林が造成されているので、景観が保たれそうです。松の苗木が植えられています。ただ、植栽された苗木が成木になるのには30年かかるそうで、それまで大きな津波が襲わないようにと祈らずにはいられません。不安は残ります。
昨年は明るい話題が二つありました。 気仙沼がNHKの朝ドラ「おかえりモネ」の舞台になりました。主人公のモネという女性が大島で生まれ育ったという設定でした。大島の各地でロケが行われました。私達の日常にある風景の中で、東日本大震災、被災地の人々の心、そして希望、未来が美しく映し出されました。 5月から10月まで放映されたのですが、ドラマに登場した大島の田中浜や亀山には、たくさんの方が訪れ賑わいました。コロナの影響がなければ全国からもっと多くの方が訪れた事でしょう。 大晦日の紅白歌合戦では、ドラマの主題歌を歌ってくれたアーティストBUMP OF CHICKENが、田中浜で演奏してくれて、地元民もビックリ…とても感激しました。田中浜には放映が終わった今もファンの方が訪れています。 そして、復興を象徴する気仙沼湾横断橋、愛称「かなえおおはし」が昨年の3月6日に開通しました。私も橋の愛称募集に「かなえ大橋」で応募した一人です。気仙沼湾は古くは鼎が浦(かなえがうら)と呼ばれていました。そして皆の夢や希望がかなえられるようにという思いを込めました。 先に開通した大島大橋に続き、二つの希望の橋が気仙沼湾に架かりました。震災前には考えられなかった光景です。 巨大な建造物の完成が復興だとは思いません。大事なのは人々の心に、前に進む力が戻ることだと思います。新しい橋を初めて渡った時、心が明るい希望のひかりがで満たされました。前に進める…と思いました。 未来へと、皆の心を希望で繋ぐ、繋げる橋であってほしいと願っています。 椿だより6 「 3月11日 」 萩かなえ 2022年3月 今年も3月11日を迎えます。 毎年3月になると、さまざまな思いを抱きます。11年前の3月11日、私は気仙沼に住んではいませんでした。気仙沼であの惨禍を経験した方々が、この日をどんな気持ちで迎えるのか…どんな言葉をかけたらいいのか、もどかしいような自分がいます。 あの日…多くの尊い命、住み慣れた家、自家用車、船舶、たくさんの大切なものが失われました。 失ってしまったものは人それぞれで、比べようもありません。何も失わなかったという人はいないでしょう。大きな衝撃、辛く深い喪失体験だったと思います。 新しい住居が完成し、新しい街が出来始めても、心の復興はまだまだだと感じます。いまだに波の音が怖いという方もいます。
昨年は明るい話題が二つありました。 気仙沼がNHKの朝ドラ「おかえりモネ」の舞台になりました。主人公のモネという女性が大島で生まれ育ったという設定でした。大島の各地でロケが行われました。私達の日常にある風景の中で、東日本大震災、被災地の人々の心、そして希望、未来が美しく映し出されました。 5月から10月まで放映されたのですが、ドラマに登場した大島の田中浜や亀山には、たくさんの方が訪れ賑わいました。コロナの影響がなければ全国からもっと多くの方が訪れた事でしょう。 大晦日の紅白歌合戦では、ドラマの主題歌を歌ってくれたアーティストBUMP OF CHICKENが、田中浜で演奏してくれて、地元民もビックリ…とても感激しました。田中浜には放映が終わった今もファンの方が訪れています。 そして、復興を象徴する気仙沼湾横断橋、愛称「かなえおおはし」が昨年の3月6日に開通しました。私も橋の愛称募集に「かなえ大橋」で応募した一人です。気仙沼湾は古くは鼎が浦(かなえがうら)と呼ばれていました。そして皆の夢や希望がかなえられるようにという思いを込めました。 先に開通した大島大橋に続き、二つの希望の橋が気仙沼湾に架かりました。震災前には考えられなかった光景です。 巨大な建造物の完成が復興だとは思いません。大事なのは人々の心に、前に進む力が戻ることだと思います。新しい橋を初めて渡った時、心が明るい希望のひかりがで満たされました。前に進める…と思いました。 未来へと、皆の心を希望で繋ぐ、繋げる橋であってほしいと願っています。
気仙沼湾横断橋 かなえおおはし 奥には大島大橋 気仙沼大島 田中浜「おかえりモネ」のロケが行われた砂浜と廃船
椿だより4 車は生活必需品 萩かなえ 2021年2月 全国的に新型コロナウィルスの感染が広がり、収束が見えません。一年で一番寒い今の時期、お天気だけでなく心も冷え込んでしまいます。 今回の冬の気温は平年並みという事ですが、前の冬が暖冬だったせいかとても寒く感じます。 気仙沼大島は雪が多い地域ではなく、積もる事は少ないのですが、今冬12月から1月にかけては、朝起きると雪景色…という日が何度もありました。 雪が降ると、車に積もった雪を下ろし、私道の雪を掃いてから出掛けます。公道は、早朝に融雪剤が撒かれて溶けていることが多いのですが、運転には気を使います。
大島だけでなく気仙沼市全体が、車が無ければ生活が出来ません。 冬は寒さもありますが、強い風が吹くことも多く、そんな日は歩いて出掛けるには勇気が必要です。 冬でなくても、平日に島内の道路を歩いている人は少なく、学校に通う生徒さん、愛犬の散歩や、健康のためのウォーキングをしている方を見かけるくらいです。
一昨年の春に気仙沼大橋が開通するまで、大島島民が市の中心部へ通勤するためには、島内のフェリー乗り場まで自家用車で行き、港のそばの駐車場に車を停めてフェリーに乗りました。そしてフェリーが気仙沼港に着くと、借りている駐車場まで歩き、停めてあるもう1台の自家用車に乗って出勤する、というパターンでした。なので通勤している多くの島民は、車が2台必要でした。 島内の移動もほとんど車なので、一家に車が3台というのは普通でした。我が家も、私が東京から大島に帰ってきてからしばらくの間は3台の車を所有していました。 なんとも不便で経費のかかる生活ですね。
橋が架かってからは、通勤に2台必要な状況は解消されて、1台の車で市の中心部への通勤や、買い物に出掛けられるようになり、大島の島民にとっては大きく生活が変わりました。 格段に便利になりました。大きな荷物を、苦労してフェリーに積みこむ事も無くなりましたし、我先にフェリーを降りてタクシーで病院に向かう、ということも無くなりました。
自動車免許を持たない高齢者のみの世帯は、移動手段が限られて大変だと思います。 島内はバスも走っていますが、それだけでは用事は足せません。ちょっとそこまで歩いて…という範囲には買い物をする商店がありません。バスは、市の中心部まで運行しているのですが、本数も少なく、バスが走っている公道までは歩かなければなりません。雨や雪が降ったりすると、買い物や通院にもとても不便で不安です。そして大島では、家庭ごみを集積所まで運ぶのにも車が必要なのです。 少子高齢化社会の縮図だと感じます。今後は日本全体の問題になっていくのでしょう…。 誰もが歳をとり、いつかは車を運転することも出来なくなります。そうなっても明るく穏やかに暮らせるように、少しずつ生活の仕方を考えていかなければ…と道の雪を掃きながら空を見上げました。
お天気が穏やかであれば、景色を眺めながら歩く大島はとても気持ちが良いです。たとえコロナ禍であっても、歩くだけで心が癒されます。暖かくなったらどんどん歩こうと思います。 春が待ち遠しいです。
コロナ感染症の蔓延、先進国不況、気候変動・異常気象天災の頻発、米国から起こる人種差別問題の再燃、米国の失業者の増加、米国の国力の低下、中国の経済成長と軍事拡大化、北朝鮮の核化脅威、中東の紛争、、、。 この2020年前半、自分自身にも、社会にも、世界にも、一挙に問題が噴出した。この問題の噴出と連鎖は、3月に、新型コロナ-ウィルス感染症(COVID-19)が 武漢から発生し、瞬く間に、疫病として世界に蔓延したことが引き金となったと思われる。 8月末現在、Covid-19感染症は、世界188か国に、感染者数2,475万人、死者83万人(2020年8月29日Johns Hopkins CSSE)となっている。日本国内の感染者数は6万人、死者は1200人を超えた。世界の中で最多数を占める米国では、感染者数607万人、死者数は18万人となっている。これからは、インドを始め、アジアから、アフリカ諸国への拡大が始まっている。この感染症の拡大拡散はまだ世界に終息の方向をみせていない。 コロナ禍は何をもたらしているのか。私たちは何を考えなければならないのか。 この感染症は、いわば、社会における生活と政治の優先順位を、一挙に変えるものとなっている。それは、誰にも無関心無関係でいられることでなく、限りなく、個々人の健康と命の問題でありながら、社会が、一国が、世界が、取り組まなければならない、もっとも、優先度の高い、グローバルな課題である。 これからは、ひとびとの日常の習慣、マナーを変え、ビジネスの形を変え、働き方を変える必要が出てくる。独裁国家のように、命令や、オーダーによって、習慣やマナーを変えなければならないことにはならなくとも、ある範囲においては、個人の自由に抵触しうる行動規制が国家によって示されることになるだろう。そして同時に、ひとりひとりの<うつらない>、<うつさない>努力なしに、世界が、この感染症との戦いに勝つことはできないのだ。それぞれの個人の、日々の、人生の、達成の努力の行動の眼前に、突然、否応なく、最優先事項が示されたともいえる。その結果、ひとりひとりの行動の変容によって、暮らしが変わり、雇用が変わり、社会の形が変わり、産業の様相、盛衰までも変化する。私たちは、緊急時という事態に、国家財政において、問題の解決を図らなければならない。誰が、どのように? この経験のない、未曾有の事態において、私たちは、非力であり、その認識ゆえに、これもまた、非力な、政治家と官僚に、その対処を任さざるを得ない状況になっている。 本来、民主主義社会における政策形成は、取り組むべき課題の認識と、その解決に向けての指針、戦略、必要とする経費費用、結果の予測、便益の大きさが検討されるべきである。緊急時における政策形成は、これをすべて踏襲することは出来ないが、政府の緊急性の認識と、実施される政策は、少なくとも、国民に明らかにされ、アカウンタビリティーが明瞭でなければならない。そして、実施と継続の期間、使われる税金、資金について、政治の決定を、厳しく監視し、施行の過程と結果を追究しなければならない。ここに、個人の枠を超えた、組織的な取り組みが不可欠となる。 この組織としては、諸外国の事例に鑑み、独立的財政機関(Independent Fiscal Institution, IFI)を日本に設置することが必要と考えられる。これはいわば、財政の予測・分析・評価に特化した、独立シンクタンクといえるもので、上野(M)が、20年以上取り組んできた、「日本に独立シンクタンクを」、「日本にCBOを」という主張につながるものである。2020年8月末現在、重要な取り組みは「IFI 設立推進の会(仮称)」によって始められている。UCRCAは、IFIの日本での設立の必要性を確信し、運動の一端を担い、取り組んでいきたい。2019年及び2020年のIFI Studiesの論考はPBPLICATIONSを参照されたい。
東北大震災から9年半が過ぎる。私たちの記憶が、次々に訪れる新たな リスクに追われて、震災の記憶も薄れていく。気仙沼市の大島地区の歌人から 歌が送られてきた。コロナ禍に終息が見えてきたら、椿だよりの萩かなえさんと、 すん子さん、由紀子さんと、たくさんの島の素晴らしい女性たちを訪ねたい。
>>>島からの便り・復興九年
Covid-19 感染症は中国武漢において発生したとすれば、すでに8か月が過ぎ、世界に拡大し、終息の気配はない。日本においても、東京での拡大から、全国的な拡散拡大は、これからピークを迎えるのではないかと危惧される。コロナ禍は、それぞれの国と社会にさまざまな変化を引き起こしている。多くの場合は、人権、貧困、差別、人種問題と、いった それぞれの社会の特有の問題と弱点を明らかにするものとなっている 。平常時には、部分的と見える問題であっても、感染症という、特定の党派性政治性イデオロギーに関わらない、極めてグローバルな、そして一方、極めて個々人の生き方に関わる問題によって、我々は自らの社会へのかかわり方を問われている。 私は、いま、個人として、アメリカ人としての市民権の行使に取り組んでいる。11月の大統領選は、グローバルな影響を持つ重要な選挙である。
7月30日のジョンズ・ホプキンス大学(CSSE)の数値によれば、世界の感染者数は1703万人、死者は66万人となった。7月1日には1045万人、死者は51万人であった。日本は、7月1日の感染者数1万8千人、死者972人、7月30日では、感染者3万3千人、死者数は1001人である。 私の関心は、アメリカとモンゴルの数値だある。アメリカの7月1日の感染者数は263万人、死者は51万人、7月30日では感染者数443万人、死者15万人である。モンゴルは7月1日には、感染者数220人、死者数ゼロ、7月30日には、アメリカの感染者数442万人、死者15万人、モンゴルは感染者数291人、死者数ゼロである。人口規模の違いは言うまでもないが、それぞれの数値は、分析の価値があるものである。
今回は、浅沼信爾氏の「幕が下りてから2.コートジボワールの二色海岸」を掲載する。いま動いている、アメリカの人種差別の問題の根源にある、アメリカ社会の成り立ちから組み込まれている文化と価値観から考える視点を示すレポートである。
5月、風薫る…そして生命力を感じる季節です。 新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、街中への外出がなかなか出来ない日々ですが、気仙沼大島では、家の近所を少し歩くだけで、新緑と桜のすがすがしさと生命力を感じます。春は必ず訪れる…と安心します。 例年であれば、ゴールデンウィークには桜が見ごろを迎えるのですが、今年は暖冬だったせいか4月の中旬に満開になり、今は花びらが舞っています。
大島に亀山という山があります。大島のシンボルのような山で、震災前は、山頂に登るための夏山リフトがあり、春から秋にかけて多くの観光客で賑わいました。 亀山は桜の名所でもあり、桜と海を眺めながらリフトで登り、山頂付近でゆっくりと桜を眺めることが出来ました。子供の頃、お花見といえば亀山やその隣の子亀山に登って楽しむものでした。家族や親せきが集まってリフトで登り、美しい海と空と桜を眺めながらお弁当を食べます。遠出するわけでもないのにワクワクする楽しさで、今思うととても贅沢な経験だったと思います。
東日本大震災の大津波の直後、亀山では山火事が発生しました。 流出した重油タンク、そこから漏れ出した重油に火が付き、気仙沼湾は火の海になりました。 その火が大島の亀山にも燃え移ったのです。 大島の消防隊が必死に消火活動をしましたが、貯水槽の水はすぐに底をついてしまったそうです。 本土との航路が寸断されているので応援隊も入れません。緊迫した状況の中、島の有志の方々が、亀山と中心集落の間を通る幹線道路のがれきを一掃し、防火帯を作り火の手をくいとめようとしました。消防隊に協力して、必死に延焼をくいとめたそうです。 民家が多い島の中央部に延焼してしまっていたら、住民に逃げ場は無く、今の大島は無かったことでしょう。 今も亀山の山頂付近、山腹には火災の爪痕が残っていて、その光景を見るたびに、命がけの消火作業をしてくださった消防隊の方々、島の有志の方々に感謝の気持ちと敬意を抱きます。
山火事によって、亀山の樹木の多くは燃えてしまいました。 桜の木も、多くは燃えたり焦げついたり、伐採を余技なくされました。 地元の人間にとっても、たくさんの楽しい思い出がある亀山リフトも焼失しました。 見るのも悲しい姿になってしまった亀山でしたが、復興を応援してくださる団体、そして島民達の手によって、たくさんの桜が植樹されました。新しい桜の木が育っています。まだ花を咲かせるところまで育っていない木が多いですが、確実に大きくなっています。 全国から寄せられた応援の気持ちが桜に込められています。 あと数年で、津波前のように、桜色と新緑の緑の美しい亀山が眺められる日が来ることでしょう。 楽しみに待ちたいと思います。
風薫る…そして生命力を感じる季節です。 気仙沼大島を囲む空と海は、遠くどこまでも晴れ渡っています。山は緑で生命力に溢れ、ウォーキングやドライブには絶好の季節です。 新型コロナウイルス感染症拡大の阻止に関わる緊急事態宣言が解除になり、少しずつ日常が戻りました。島内ではいたるところで草を刈る機械の音が聞こえます。農作業も忙しそうです。 ウイルスの蔓延とは関係なく巡る季節、四季の素晴らしさ、ありがたさが身に沁みます。
大島大橋の事を書きたいと思います。 大島大橋は、356メートルの短い橋ですがとても美しい橋です。橋から望む景色、空、海も素晴らしいです。震災から8年が経った昨年4月に開通しました。大島の住民にとって、いのちの橋であり、希望の橋です。 半世紀以上の悲願だったこの架橋の計画が、震災で頓挫してしまったとしら、私が大島に帰ってくるのは、ずっと先だったかも知れません。大島は自然が素晴らしいところですし、両親がいるので大切な故郷ですが、離島のままでは、現役世代の人間が日常を暮らしていくのは難しいと思っていたからです。私は東京で結婚をしましたが、2015年に人生の伴侶を病気で亡くしました。 その十か月後、両親の暮らす大島に転居してきました。架橋の計画が進んでいたので帰ってくる決心ができました。そして大島の自然、大きな空と海が少しずつ悲しみを癒してくれました。 やはり橋が架かったのをきっかけに、都市部から大島に帰ってきた子育て世代のご夫婦や、他の地域から移住してきた方がいます。若いご夫婦に話を聞く機会がありました。子供を育てるなら大島のような、大きな自然の中で育てたいと思ったと話していました。 二十歳代、三十歳代の若いご夫婦が帰って来てくれたり、移住してくれたり、そんなふうに大島が変化していくことはとても良いことだと思っています。もっともっと増えてほしいです。
今回のコロナウイルスの感染拡大、緊急事態宣言下でも、車で大島を訪れ一周し、少しの間車を降りて日常の大島の景色を楽しむ、そんな方々を時々見かけました。県境をまたぐ移動は自粛の中、近くの地域から訪れた方々だと思います。自然の中に身を置くだけで解放感を味わっているように見受けました。 橋が架かり、フェリー航路が廃止された事で、フェリーの船旅を楽しんでもらう観光は無くなりましたが、車のまま橋を渡り、大島を巡れるのはとても魅力的だと思います。 コロナウイルスの感染拡大が終息したなら、自然を求め、癒しを求める人々が増える事と思います。 大島の自然はいつでも、訪れる人々をゆったりと迎えてくれることでしょう。
2020年前半、3月に、新型コロナ-ウィルス感染症(COVID-19)が 武漢から発生し、瞬く間に、疫病として世界に蔓延した。6月には世界の感染者数1千万人、死者50万人を超えた(2020年6月28日Johns Hopkins CSSEによる)。 このほとんど誰も予測予知しなかった、ひとつの疫病の蔓延は、コロナ禍とよばれ、それぞれの国の国家的対応(の有無)によって、人々の日常を変え、そして、世界の秩序(というものがあるとして)をも、数日といわずとも、数か月にして変えることになる。それは、誰にも無関心無関係でいられることでなく、限りなく、個々人の健康と命の問題でありながら、社会が、一国が、世界が、取り組まなければならない、もっとも、優先度の高い、グローバルな課題であるのだ。これから、ひとびとの日常の習慣、マナーを変え、ビジネスの形を変え、働き方を変える必要がある。独裁国家のように、命令や、オーダーによって、習慣やマナーを変えなければならないことはないが、ある範囲においては、個人の自由に抵触しうる行動規制が国家によって、示されえる、起こりえるのである。ひとりひとりの<うつらない>、<うつさない>努力なしに、世界が、この感染症との戦いに勝つこと、すくなくとも「やり過ごす」ことはできないのだ。それぞれの個人の、日々の、人生の、達成の努力の行動の眼前に、突然、有無を言わせず、最優先事項が示されたともいえる。その結果、ひとりひとりの行動の変容によって、暮らしが変わり、雇用が変わり、社会の形が変わり、産業の様相、盛衰が変化し、ひろく経済に影響を与える。 この、まだ、日本で、世界で、展開中の事象をどうとらえ、考え、行動したらよいか、UCRCAの課題として、様々な角度から考えていきたい。
武漢日記、田畑光永訳、解説、掲載
初期に中国武漢市においては都市封鎖がなされた。今回、その武漢市で、著名な、女性作家、方方女史の封鎖下の日記が読めるようになった。UCRCAではその翻訳を試みているジャーナリスト田畑光永氏の快諾を得て、20年2月6日から3月19日までの日記を、田畑氏の解説を含めて掲載する。中国の認識に疎いものとして、一党独裁国家の下での、人々の生活の一端を知る、貴重な翻訳である。
「封城」(ロックダウン)下の武漢の暮らし ー方方女史の『武漢日記』抄訳
コロナウイルスによる感染症(Covid-19)は 、1919年12月、中国、湖北省武漢市に発生した感染症と考えられるが、その起源については、未だ、科学的証左はない。 この未曾有の世界的な感染症は、一挙に世界に蔓延し、今も進行中であり、今後さらに、科学的健康医療上の課題と、社会経済を揺るがす影響と、ひとびとの生活に変化をもたらすだろう。
米国の都市動乱
そして、今、新たな激動がアメリカで起こっている。都市暴動の噴出である。5月25日、ミネソタ州で黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警官の暴力行為によって死去した。これがきっかけとなって、6月2日現在、140都市に抗議デモと暴動が拡大していると新聞は報じている(日経6月2日)。これを引き起こしたのは、3年前のトランプ大統領の就任以来の、人種差別的言動と社会分断化の姿勢によることは明らかだ。ワシントンDCからの知らせでは、ホワイトハウス前の暴動が伝えられ、私のよく出かけたレストランが壊されたとのことだ。人種差別、コロナ犠牲者の低所得、マイノリティーの偏在が明らかになるにしたがって、また白人優位主義の復興によって、しばらくはこの街頭の混乱が続くだろう。
Covid-19 は世界を変える。そしてコロナ後の世界は明らかに異なる世界であると思われる。何が、どのように?直近に、中期長期に、私たちの足元で、日本で、世界で変わるのか。
COVID-19 の6月3日の計測値。
世界の感染者数 6,378,237人 死者数 380,251人
米国の感染者数 1,831,821人 死者数 106,181 人
日本感染者数 16,837 人、死者数 902人 (06/03/20, Johns Hopkins, CSSE)
20年6月2日現在、188か国に発生が認められる。
Covid-19 の5月9日の計測値
世界の感染者数 3,939,348人、死者274,932人
米国の感染者数 1,283,928人 死者数77,180 人
日本感染者数15,575人、死者数 618人、 (05/09/20 Johns Hopkins, CSSE)
ココロナウイルスによる感染症(Covid-19)は、2019年中国に湖北省武漢市において発生した。中国政府は、武漢市を都市封鎖したが、グローバル化している世界に、Covid-19は急速に、人種、主義宗教など、差異なく、例外なく、拡散された。 2020年1月30日にはWHOは「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言。感染症対策を定めた国際保健規則に基づく最高レベルの注意喚起をした。3月11日には、世界保健機関(WHO)は、新型コロナウイルスの感染状態を「パンデミック」の状態として認定した。 2020年5月1日現在、感染者の出た国は187か国、世界の感染者数326万人、死者数23万人(ジョンズホプキンス大学CSSE, 5月1日現在)となっている。そう感染者数においては米国が このうちの33%を占める。日本は現在、累計1万4千人、死者数は、457人(朝日新聞、厚生省)とされる。 これらの数値の増加をどう考えるのか、驚き眺めていることで春が過ぎた。しかし、いま、自分が、家族が、友人知人がこの感染症にかかり、命の危機に直面することが現実になることを知らなければならない。ここでは、Covid‐19の分析をする力量はない。今、コロナ対策の前線に立つ、看護師さんからの、記録と進言をのせさせてもらう。 私たちの今日明日にとって役立つ、貴重な報告であると思う。匿名の看護師さんに感謝をこめて。
「正しく恐れること!」(注):ある看護師からのコロナ情報
世界銀行を退職されて、日本に戻られた浅沼信爾氏に、UCRCAにブログを開設していただくことになった。浅沼氏は一橋大学経済学部卒後、日本の金融機関で働いたのちに、1961年世界銀行のヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)の最初の日本人としてワシントンDCで勤務された。 足掛け50年余を、エコノミスト、国際公務員として、米国を基軸に、海外で活動されてきた。世銀では、韓国、マレーシア、シンガポール、バングラデシュ、ブータン、ネパール、シンガポール、スリランカ等々、多くのアジア諸国に、世界銀行の計画手法を用いつつ、開発援助の第一線を切り開き、途上国の発展に尽くしてこられた。途上国の旅、開発政策について、多くの著書があるが、ここでは、近年の想い、硬い話から、やさしい話まで、自由に書き綴っていただく。貴重なご寄稿に心から感謝。(編集者より)
東北大震災から9年、椿だよりを届けます。 私は、東北大震災後から、縁あって、気仙沼大島を訪ね続けてきました。その年月で、島の人々との細々ながら、心通う時々を過ごしてきました。すん子さん、由紀子さんの歌、句も寄せてもらいました(島からのたよりを読んでください。) この3月は、被災地の復興9年目になります。ようやくに、その土地土地で、ひとびとは、新たな歩みを始めています。ここでは、私の出逢った島に生きる強く賢い女性のひとり、萩かなえさんに、大島の暮らし、人々のこと、伝統と、震災と津波のもたらした変化を、綴ってもらいます。(上野M) 下記リンクよりダウンロードできます。 椿だより①萩かなえ 写真をギャラリーに掲載しています、下記リンクよりご覧いただけます。 ギャラリーへ
2011年3月11日の東日本大震災発生から今月2019年11月で、8年半を経た。宮城県気仙沼市大島地区において復旧復興事業が整備されてきた。復興のシンボルとされる、大島架橋の開通、復興住宅の完成、そして、海岸施設整備事業の中核をなす防潮堤整備は、ほぼ完成に近づいている。多くの公共事業の評価がなされているが、しかし防潮堤についての事業評価の事例はほとんどみない。ここでは、震災以降、継続して気仙沼市大島地区を訪れてきた島の人々との交流を基盤にして、復興の実質的な成果である、防潮堤の事業評価の項目を試みる。これらは、今、新たな島の復興への萌芽の兆しに、役立つ情報と考える。また同時に、今後多数予定されている県内外の防潮堤建設の事業評価に有用な情報を提供できると考える。
11月の第4金曜日は、アメリカのナショナルホリデイだ。この休日は1620年、イギリスから、信仰の自由を求めて、マサチューセッツのプリマスに移住した、ピルグリム・ファーザーズが、慣れない土地で、食料を得るため、アメリカン・インディアンたちから教えられて育てたトウモロコシやヤムを得ることが出来、その収穫を祝い、感謝し、インディアンの人たちを招いて、食の宴を開いたことから始まったと言われている。(この説には、多くの疑問もあるようだが。)ただアメリカの人々にとって、Thanksgiving は、日本のお盆のように、年一度、皆で集まって、七面鳥を焼き、紅色のクランベリーのソース、マッシュルームとグレービーをかけ、カボチャパイを食べ、豊かな季節の恵みを楽しむ。宗教色も、政治色もない、そして、より恵まれない人たちに思いを寄せ、感謝の心をはぐくむ一日は、(七面鳥には少々気の毒だが)とてもよいものだ。今日、分断化した社会のなかで、漂流する家族が、一日、今日生きること、今日あることに感謝しで夕餉をともにできればありがたいことだ。世界のこどもたちにも、飢えなき日を。
気仙沼大島は津波8年後、計画した多くの防潮堤が完成した。 5月から2度目の訪問で、18か所中15か所の防潮堤を踏査した。 観察と限られた面接情報から、二つの問題点を挙げることが出来る。 1.景観上と保安上の問題。 防潮堤は基本的に浜を削減し、陸からの「浜の景観」を壊した。特に 高さが問題で、すべての防潮堤は、内側からは漁に出入りする船の姿もみることができない。また浜が見えないために、浜に出て行ったひと、子供たちを陸側から見ることは出来ない。いわば視界を遮られており、保安上、極めて危険な場所となったと言える。 2.環境変化と漁業への影響の問題。 漁業の観点から言われていることとして重要と思われるのは、 防潮堤のできた浜の沖では、わかめ、海藻、ホタテなど魚介類の収穫が 減少した。原因として考えられるのは、防潮堤建設に使われた コンクリートから溶け出した貝毒が、海のプランクトンを殺し、海藻類に 必要な栄養分が失われたことが考えられる。さらに、防潮堤の建設により、 浜への海流の変化が起こり、魚が来なくなったとも言われる。
一方、防潮堤の建設された浜に住む世帯(まったく住む人がいない場合もあるが)にとっては、防潮堤が、安心をもたらしたと喜ばれている。
防潮堤建設は、今後も、防災上の主要な対策となると考えられるので、投資効果を含めて、公共事業の評価の課題として、議論されなければならない。県、市、環境団体、科学者、政策形成に関わる学会が、早急に取り組むべきである。
日本の公的債務は、GDPの236%(2018年)であり、 GDPの2.5倍に近く、さらに増大する。この巨大な公的債務は将来、我々の子・孫・ひ孫が税金で返済せねばならない。 この状況は多くの先進国共通である。 この近年の税制の危機と公的負債の次の増加に対応して、公的財政の質を上げ、政府政策の信用をあげると期待される、独立財政機関(IFI) を創設する動きが高まっている。すでに約20か国において設立されて、欧州連合(EU) は加盟国にその設置を義務付けている。 いずれ日本もこの制度を導入することが必須と考えられ、UCRCAは、IFI研究を蓄積していることに鑑み、Publication Series 2019 に IFI Studies をまとめる。
2019・07
アリス・リブリン、デモクラシーへの貢献
Alice Rivlin が5月に亡くなった。この7月4日の独立記念日に、モールの上に空軍の軍機を飛行させ、リンカーン記念堂の前で、強いアメリカを絶叫する現大統領演説を聞くとき、リブリン女史がこの光景を見聞きしたら、どれほど憤り、それでも厳しく母のごとく、トランプの過ちをただし、諭すかと思う。今彼女の死がまさに悔やまれる。
アリス・リブリンは、60年代後半から政府の社会政策を分析し、どの政策がいくらかかり、どれほどに有効かを、できる限り明瞭に示し、政策を公正なものとし、無駄を削減することに徹底した。それは、政策の透明性とアカウンタビリティー、政策の民主化に道を開いた。政策アナリシスの母であり、政策アナリストの元祖といっていいだろう。彼女の貢献に感謝するとともに、日本にはこれから必要とされる人であると思うと残念でならない。
ワシントンDCはアメリカのデモクラシーを表明する、「デモクラシーの都市」と言っていいだろう。 建国の父たちは、この湿地帯を首都の候補地とし、1791年にジョージ・ワシントンの命を受けて、フランス人のランファンによって都市計画がはじめられた。その後、何人もの都市計画家、建築家の手を経て、近年にいたるまで、そのイメージと構成を変えてきた。アメリカのデモクラシーは現実において様々な亀裂を見せているが、都市の光景は、そのパブリック・スペースの豊かさをもって、訪れるひとびと(右も左も)に、アメリカという国のあり方と、この国を誇り、愛することを呼びかけているように思える。
アーバン・インスティテュート(UI) は昨年で設立50年となった。私はUIの40周年にかけて20年余、研究者として勤務した。当時Mストリートのビルの4,5階を占めた250人ほどの組織であったが、この5月、スタッフ500人のシンクタンクとして、ワシントンDCのサウスウェスト、ランファンプラザに移転した。そして「これからの50年」を、Change Makers 変革の創造者として開設を謳いあげた。 UIは、ジョンソン政権下、都市・社会問題の解決を目指した政策研究組織として作られた。ここ10年ほどは特に、エビデンスを基づく、厳密な、政策研究、政策評価において、優れた成果を生み出し、政策形成に着実に影響を与えた。変革のためには、イデオロギーではなく、データ、情報、分析が欠かせないことを実際に示したといえる。しかしあらゆる変革の現場で、真に必要とされるデータと情報は変革者の手元にそろっているわけではない。UIの新たな展開は、知と治を結ぶという機能から、知を変革につなぐ、Doers実践者の行動集団となること、変革のためのデータと情報をそろえることを自らの役割として宣言したといえる。その力強い成長を心から祝したい。
防潮堤建設、浜はどこへ行った。 気仙沼大島は2011年の被災から8年、架橋によって「離島」ではなくなり、 防潮堤の建設によって物理的にも、島人の心にも、島の姿は大きく変わってきた。島内18か所の浜に建設された防潮堤。浜ごとに、堤防の形は異なるが、共通して言えることは、浜は小さく狭くなり、「浜」といえる「かたち」と「機能」を失い、かつて、海の豊かさを表した美しい「浜」が、貧しく、醜くなった。
2017年以降、アメリカの知識人に、自国の、さらには世界の、デモクラシーの危機の認識が生まれた。それは、全体主義、圧制・独裁ファシズムの復興と台頭への警戒につながっている。Timothy Snyder よる小冊子は、ファシズムの台頭を感知し、抵抗できる市民、個人のあり方、教訓集であるといえる。私たちは今、多様な情報網によって、世界に起こっていることが、「見える」ように思えている。しかし一つ一つの事象の背後に本質的に何が起こっているのかは理解できず、その社会的、歴史的に包含する意味がわからない。そうしたときにおいて、ことに、それらの事象が、今、生きている「私」にとってどういう意味を持つのか、「今日、私は何をすべきなのか」がわからなくなっている。
UCRCAの研究員 工学博士・若杉幸子さんが2019年1月22日逝去された。 UCRCAの設立から積極的に関わっていただき、センターのプロジェクト「シルバー・コミュニティーのためのデータベース」を担当された。2000年に脳内出血で倒れ、手術で一命を取り止め、以降、何回もの手術を繰り返si ながら、半身不随の身体に厳しいリハビリを課して、高齢身障者が、いかに行動の自立性を確保できるかを自らの行動から検証し続けた。プロジェクトに、研究レポートを書いている。ぜひ読んでいただきたい。
自己の経験をもとにした、身障高齢者の生き方を客観的につづり、その改善のための計画的指針を示している。彼女の実績著書のひとつ「住み手による住環境計画」にも匹敵する研究論文である。 最期まで、凛として生き抜いた若杉さんに、UCRCA 全員の心からの敬意と、冥福を祈りたい。
今なすべきこと:表現の自由を守る。 日本は2019年、日本のデモクラシーにとって、大きな試練を迎える。 なぜなら、天皇退位と新たな天皇の即位を機として、日本の神道は、ナショナリズムを高揚し、国民は日本の伝統を誇るからである。 そして、中国韓国との関係から、日本の世論は憲法改定に傾くと考えられる。 平和憲法を守るという勢力と、憲法改定の保守勢力は、国内を2分するだろう。このときに、日本のデモクラシーは守るべき堅固な価値観と理念を持たない。 日本の伝統がひたひたとデモクラシーを崩し、ナショナリズムを強化し、ファシズムを招くことを警戒しなければならない。
10月19日に雄山真弓関西学院大学名誉教授が亡くなられたとのご家族からのご連絡がありました。私たちにとっては、2016年のモンゴルをごいっしょさせていただき、その類まれな豊かな人間性と科学者としての姿勢に深く心打たれたことでした。先生は、このモンゴル旅行を大変に喜ばれたと同時に、モンゴルでの「ゆらぎ測定」は研究の展開に価値あるものとなると言われていました。この夏も、病気と闘いながら、次の発明のことを考えていると、積極的な、希望に満ちたお便りをいただきました。最期まで、創造性にあふれ、優れた頭脳を持ち、努力を惜しまず、そして人々への愛情にあふれ、音楽への情熱に満ちた、豊かな方であったと思います。私にはわかりませんが、開発された「ゆらぎ測定」はもう少し年月をかけて使われ、実績が出来れば、ノーベル賞にも値するのではないかと思っておりました。もう一度お会いしたかった、悔やんでも悔やみきれない思いです。 心からのご冥福を祈ります。
中間選挙の結果、史上最多の女性議員が生まれた。特に連邦政府の下院議員は117名、5人に一人が女性議員となった。まだ半数には遠いとはいえ、この意味することは大きい。ひとつには黒人、アメリカン・インディアン、モスレム、LGBT(同性愛者)等、さらに多様なマイノリティーの女性たちが、連邦のみならず、州,郡の地方議会、知事などに、民主(ブルー)の波、女性の波が押し寄せた。 アメリカン・デモクラシーの危機的状態を生み出した、まれにみる稚拙な大統領のもとで行われた。2年後の大統領選を占うものと言われる。勝利を宣言したトランプ大統領との軋轢の渦中で、これから女性議員は何ができるのか。市民社会にとっての意味を考えなければならない。
9月11日、くしくも今日は9/ 11, 2001年のワールド・トレードセンターの同時テロから17年となる。あの朝、ワシントンDCのアーバン・インスティテュート(UI) のオフィスで、ペンタゴンの上に上がる黒い煙を見て、所長のライシャワーが「新たな時代の始まりだ」と言ったことを思い出す。確かにそこに、時代の、歴史の、明らかな転換点があった。時代は、世界は、変わった。そしてさらに、今年2018年はさらなる変化の波が様々の地に起きている。 ISによるテロと、多くの国においての内乱と難民の流出、欧米諸国の移民排斥と国民支持政党の右傾化、<民主的>国家の権力者の独裁化傾向など新たな現実である。特に、デモクラシーを標榜してきた米国社会のトランプの独裁志向と社会の分断化傾向は、米国内の問題にとどまらない。 日本は、直接にはこうした影響を受けずにいられる数少ない国である。日本にとってのより喫緊に取り組まなければならない問題は、人口減少と超高齢化の進展と、政治的には、外交と防衛問題にある。一方、この夏の日本は、様々な自然災害、地震、暴風、台風、豪雨、猛暑まで、厳しい自然環境の変化に見舞われたが、それらは多分地球規模で起こっている温暖化の一端でもあるだろう。 そうした中で、「私」は何をしたらいいのか、「私にできることは何か」を日々問い続ける。非力を痛感しつつ、ラインホルド・ニーバー(Reinhold Niebuhr) の祈り(Serenity Prayer)が、告げるように、変えるべきこと、変えるべきでないことを知り、変える勇気をもつこと、一日一日を生き、この時を常に喜びをもって受け入れ、困難は平穏への道として受け入れることができればと願う。 UCRCAとしては、今、この世界のデモクラシーの危機的状況を見つめつつ、基本的には2017年のセンターのミッション再考に即して、4つの「場」と焦点を合わせ、実現すべきこと、実現できることを戦略的、時間的に峻別しつつ、活動したいと考えている。 1)東北震災復興の過程:気仙沼からの報告、防潮堤と架橋、産業人材の展望、 2)途上国コミュニティーの開発と改善への援助、モンゴルのゲル地区問題、 3)日本のデモクラシーと改革のための機構、制度、独立財政機関の設立、 4)トランプ政権下の米国の市民社会と知識層の状況。
上記のそれぞれに関わる、イッシュー、情報を、UCRCA内外の研究者の参加と協力を求めつつ、PUBLICATIONSを通して、議論、活動の素材の提供と短期、中期、長期のビジョンの構築に役立ちたい。
復興7年半、大島地区の復興住宅、浅根市営住宅、戸建て38戸が建設され、 居住が始まった。
一方、復興の柱である防潮堤は、大島の整備計画では18か所、うち、 完成したものが2か所、建設中が10か所、始まらないものが6か所ある。
島民の願いであったといわれる、本島からの架橋がかかり、まだ 島の中の道路はできていないが、3年後にはフェリーとの交通ではなく、車で 本島とつながることになる。
島民は期待と不安を持ちながら、少しづつこの変化への関与を始めている。
2018.07 OECD Korea 会議の意味するもの。 7月、OECDが、議会予算担当者と独立財政機関(IFI) のネットワークの第10回会合を、韓国で開く。我々が長く主張してきた、日本にCBO(議会予算局)に匹敵する財政と予算政策の分析評価組織を設立すべきだという提案は、ほとんどなんら影響を及ぼせずに今日に至っている。しかし、OECD 諸国では、すでに19か国で独立財政機関が設立されている。このネットワークは、各国の予算過程の議会の検証能力を高め、IFIの役割を発展強化するための情報共有の場である。私たちが、日本にIFI/CBO を作ろうと努力していることに共鳴して、この会議の創設に関わってきた人間が、会議への招請に動いてくれた。 今年10周年となるネットワークの歴史を見ると、世界に冠たる財政予算を持つ日本が、まともに、世界の国々と、その予算過程の情報をシェアしていないことに、今更ながら、愕然とする。 OECDのネットワーク会議は、議会の予算過程に関与する政策形成者を連携し、主要な予算の課題を議論し、実際の経験と予算活動の方法の情報を共有し、新しく設立されたIFIのプロフィールを紹介し、また既往のIFI組織の権限等の顕著な変化を明らかにし、グッド・プラクティスを見つけ、基準の設定に貢献することを目指している。 7月に開かれる会議への参加後に、会議の総括等を報告するが、現在、日本評価学会をベースとして、上野(H)がまとめた、独立財政機関(IFI) の国会付置提案(2018年6月13日版)を討議の基盤としてほしい。
東北大震災の津波による被災から3月で7年が過ぎた。 椿の島の92歳になる俳人、熊谷すん子(熊谷志緒)さんから 大島の春の句が届いた。(被災後コミュニティー開発と市民社会: 島からのたより:復興7年目)ようやくに復興住宅に移ることができた ことは喜ばしい。しかしまだ、気仙沼のみなし仮設には多くの 被災者が残っている。 今月、気仙沼市は4年ごとの市議会選挙を行う。被災後に大島から 4年前、議員となったK.M.さんの議会報告は、地方議会における 未熟な民主主義における政策決定の問題と、ことに、復興の要としての 大規模公共事業・防潮堤建設が、基本的に矛盾ある事業でありながら、 行政も議会もいったん決めたことは「変えない」「問わない」という 暗黙の社会意識に支えられて進行していく過程が見えてくる。
—March For Our Lives— 3月24日、ワシントンDCのモールは数万人のデモで埋まった。フロリダのストーンマンダグラス高校で起こった銃撃による高校生17名の死を悼み、政治家、国会議員に、強い銃規制法の成立を求める高校生とその父兄、教師が組織した抗議集会である。高校生の怒りは、銃規制に何もしない大人たちに向けられて全国各地で10万ともいわれると若者たちが抗議に参加した。同時に、彼らは、同世代の若者たちへ「投票しよう」と選挙登録を呼びかけた。銃規制の問題を通じて、アメリカの次世代が、政治の変革に動き出すかもしれない。
トランプ大統領の最大の公約、移民の排除のためメキシコ国境に建設されているThe WALL 壁。1月11日8時半、ワシントンのシンクタンク、ブルッキングズ研究所の早朝オープン・プレゼンテーションを開いた。ビデオはブルッキングズのウェブでみられる。この政策への最低18billionといわれる税金による支出は何をもたらすのか。来年度予算をめぐる議論が沸騰する。The Wall 壁は、アメリカの移民政策であり、国家安全保障政策である。 トランプ政権による執政1年は、前政権の築いた政策をことごとく撤廃することを目標とし、デモクラシーの基本となる様々な権利を剥奪し、アメリカ・ファーストによる政策形成を進めている。いずれにおいても、執行はトランプの意図道理に進んではいない。このメキシコや中南米からの移民を物理的に排除しようとする政策は、トランプ大統領の威信をかけたものである。この壁が真に移民を減らすことになるのか、誰がこの負担を負うのか、どの予算から出すのか(メキシコは費用負担を拒否した)いま、事実の検証と事前評価が求められている。 前オバマ政権の最も重要な政策形成と国家予算の統制の方針は、事実の検証に基づく(evidence-based), 科学性を基盤とした(science-based) 議論を経ることにあった。そのうえで、国家予算の配分の整合性を図ること、党派性と利害関係者のイデオロギーによる政策形成を排除し、民主的な政策決定の根底に科学性を置くことが必須であるとした。 これに対して、トランプ大統領は政策形成に科学的根拠は必要としないことを公言し、地球温暖化を警告する科学データを無視した。2017年末の報道によれば、健康医療に関わる先端機関、国立感染症研究所(CDC)の来年度予算請求文書に、evidence-based, science-based を含めた7つの言葉の使用を禁じた。 民主社会の発展のプロセスへの平然たる無視と逆向の中で、では政策形成に携わる機関、政策研究者、政策アナリストたち、政策産業はどう対応するのか。2018年はアメリカン・デモクラシーにとっての脅威と試練の年であると同時に、その影響は世界にも及ぶものである。UCRCA はその動向を追い続けるつもりである。
Year in review and resolution for the coming year
2017 was a troubling time for the world because of the deterioration of American democracy under Trump’s presidency. Nationalism, racism, isolationism, and fascism are reviving in many countries. As a result, many societies are divided into rich and poor, white and minorities, left and right, and men and women. No progress can be founded when such deep divisions exist.
Progress towards a brighter future means creating a vision of the world that is more inclusive, one that respects and embraces our respective differences and identities while grounded in our common humanity: empathy, kindness and inclusiveness. In 2018, we should fight against the immediate threats to democratic society one by one, community to community.
2018・01 2017年回顧と2018年への決意 2017年、アメリカン・デモクラシーはトランプ政権のもとで、明らかな崩壊の過程を歩みました。ナショナリズム、人種主義、孤立主義、ファシズムが多くの国において復権しています。結果として、社会は金持ちと貧困層、白人とマイノリティー、左翼と右翼、男と女まで、分断化が進行しました。しかし、こうした深い分断化社会に進歩は望めません。 新たな、輝かしい未来は、人間共通の思いやりと親切な、開かれたこころをもって、互いを尊敬し、個々の違いを許容し包み込むことから開かれるでしょう。 2018年、私たちは民主社会に差し迫った脅威と、ひとりひとり、ひとつひとつ、コミュニティーからコミュニティーで、立ち向かい闘っていかなければなりません。
足掛け20年余のモンゴルとの交流を再考するために、 PUBLICATIONSにPPT のプレゼンテーション2本を掲載する。
モンゴルを訪ねる旅は足掛け20年を超えた。2006年からは関西学院大学の総合政策学科上野ゼミの学生との研修、2012年からはUCRCAの活動として、さまざまな関心を持たれた方たちとともに視察研修旅行を重ね、今年2017年で通算14回となった。 今年は私たちの長年の願いである、日本の高齢者介護サービスに従事する介護士としてモンゴルの女性たちに来てもらうことが、実現する可能性が見えてきた。この展開は、UCRCAの島末研究員の尽力によるものである。 今年のモンゴル行きは島末研究員の国際看護学会での発表をかねて、上ヶ原病院理事長、関西の複数の病院の看護師、そして昨年から開始した雄山真弓・関西学院大学名誉教授による「ゆらぎ測定」、UCRCA上野(M)がコミュニティー開発の現状調査と視察を行った。
2011年:ウランバートル遠景、この年、GDP17.3%を達成した。
2017年:ウランバートル市内に流れるトール川
ゲル地区のスプロール
晩秋の郊外キャンプ(保養地)
ゲル地区夜景、明るくなった町
都心部のアパートで進む荒廃化
中心地区の「妊娠ビル(!)」ついに完成。車の増加と混雑による排煙公害はさらに増加
郊外キャンプ(保養地)の増加
ラスベガスの大量乱射殺人事件は衝撃的だ。アメリカの狂気の一面を見せつけられる。これでまた銃規制への声が高まるであろうが、それでもトランプ政権が徹底した銃規制に動くことはない。なぜなら、トランプ大統領は全米ライフル協会と銃産業ロビーの支持を受けており、共和党は憲法修正第2条の武器を持つ権利を縮小しないからである。 すでにトランプは統治において無策を続けている。今回の事件で対応を誤れば、すでにさまざまな政治局面で起こった対応の不備と合わさって、政権の破綻をもたらすかもしれない。 9月25日に、ワシントンDCでは二つのデモが合流した。さほどの規模ではなかったが、ひとつは人種平等と正義を求めるデモ、もうひとつは黒人女性差別反対のデモである。最近起こっている警官による市民への虐待・暴力は、黒人女性にとっては日常茶飯事といえる。 ラスベガス事件は直接的にはトランプと関わりはないであろうが、人種差別主義、白人優位主義、ヘイト・クライム、移民に対する攻撃の増加は、トランプが呼び覚ましたことは明らかだ。所得格差の拡大と不平等の時代への下降スパイラルは止めなければならない。(文責:上野M)
なくなっていく浜。見えなくなる海。 東北の津波からの復興の要として、「命を守るため」に岩手から宮城の沿岸に延々と防潮堤が建設されることになった。宮城県気仙沼市大島地区 では、18ヶ所の浜に防潮堤建設が計画された。浜ごとに、堤防、護岸、突堤等、名称と形態は異なっており、またそれぞれの担当所管は県、市の多様な部局に分かれている。 2012年以降、計画説明会が浜ごとに開かれ、大枠予算が示された。その後3年の間に9割がた決定されたとされている。一部地区を除いて、この高さ、形態はほとんど変更されなかった。いま、防潮堤によって海から閉ざされつつある島の中で、漁師は「海の見えないところで、仕事はできない」と、ボソッと言う。浜がなくなり、漁業の育たなくなる島は、これからどうやって食べていくのかと。でも島民も島の「政治」もその声を荒げることはない。「もう決まったことだから(県知事は)決して決めたことは変えないひとだから」とあきらめが覆っている。写真下記はいずれも建設工事中の防潮堤、高さは田尻(7.80m)を除き7.00mである。
横沼漁港海岸
駒形地区
中沢地区
要害地区
田尻地区
磯草地区(手動防潮扉)
私は、米国市民であるので、アメリカ社会と政治に強い関心を持っている。家族が住んでいる社会であり、家があり、税金を払い、私もいつか帰ろうと思うところだからである。 しかし、2017年の夏、アメリカ社会は私個人にとってというよりも、グローバルにかなり危惧すべきところとなっている。 それは、ワシントンに暮らす、知人や友、家族から伝えられる日常において兆してきた差別の表出である。もともと人種差別も女性差別も、あらゆる社会において、なくなったりはしない。アメリカ社会においても1960年代からのデモクラシーへの努力を経ても、差別は厳然としてあるが、差別をなくす努力がなされてきた。しかしトランプの大統領就任とその後の言動から、白人優位主義と人種差別、反移民主義は、堂々と表に立ち表れ、復活してきたのである。
8月15日、バージニア州シャーロッツビルから遠く離れて、市民間の衝突のニュースをきくとき、そこに噴出している、アメリカの深い人種問題と差別の「情念」に気づかされる。私はシャーロッツビルが好きだった。ジェファーソンの生地として、その住居の知的な雰囲気を好んで何度も訪れたものである。シャーロッツビルのリー将軍像の撤去に反対して集まった右派勢力はネオ・ナチからKKKまで白人至上主義に賛同し、反移民主義であり、銃の携帯を支持する。これらは、トランプの武力と暴力に容易に傾倒するイデオロギーと重なっている。トランプが言ったように、私(トランプ)の支持者たちは、熱烈なる愛国者たちであり、白人の作ったこの国の豊かさを、マイノリティーや移民が享受し、白人が仕事を奪われ、所得が低くなることは、許せないという憤り、怒りが湧き上がっている。そこには、デモクラシーなど、関係ないのである。それをトランプは見事に受け止め、オバマ前大統領のしたことはことごとく壊す、エリートと官僚政を打ち倒すこと、デモクラシーなぞ、知らないといって、政策をつくり、執行する。
アメリカは、主に1990年代から2000年代にかけて、いわばアメリカン・デモクラシーの興隆のときであった。なかでも、デモクラシーの「知」を代表した「政策研究」の繁栄の傍にいることができた。今、私に見えるものがあるとすれば、その時代、20年ほどのアメリカの「知」とデモクラシーの発展に学んだことにある。そしてそれが今、ドナルド・トランプという、アメリカの「知」と民主化の流れを無視し逆行する、かつて例を見ない大統領とそれを支える共和党と有権者の半数によって、崩されようとしている。 アメリカの有権者として私は、民主党員として登録している。その責任上、今、日々、署名、カンパ、アンケート調査に追われている。国会議員と地方議員への電話が求められるが、在外であることから、それはできない。トランプの弾劾は難しい。次の選挙に向けていかに民主党議員を増やすかがもっとも重大な課題である。制度としてのデモクラシーの欠陥をいかに変えられるか、アメリカン・デモクラシーは、岐路に立っている。
トランプ新政権の最初の100日の課題は、前政権が作った環境規制、オバマ・ケアの廃止、富裕層の減税、移民の流入の阻止、連邦政府機関によってすすめられた投票権の確立、公立学校の保持、医療保険制度の維持、公平住宅法を守るといった民主的価値と役割を破棄し、政府を小さくし、すべて民間に任せる、本来の保守に戻すことだと主張する。彼はエスタブリッシュメントの頂点にあるワシントンの政治家に敵対する立場から、議会を尊重する気はない。共和党が多数であるから、ほとんど彼の政策提言が可決されないという心配はないが、基本的に彼は議会を尊重する気はない。憲法にも挑戦する。矢継ぎ早の大統領令は彼の統治姿勢を現わしている。
米国のトランプ大統領の就任は、世界の歴史において、最も「反」歴史的な意味をもって いるといえます。彼の叫ぶ「アメリカ・ファースト」は少なくともここ70年振幅を繰り返しながらも アメリカが作り上げてきた、自由とあらゆるひとびとの人権の確立の理念を放棄するものです。 多分この大統領は、無知と幼児性、もしかしたら狂気を持っている人間であろうかと思います。 そしてそれが見えるにもかかわらず、トランプを支持する国民が半分を占めている米国社会に 私たちはどう向き合っていくのか。私は米国民でもあるので、合わせて考える必要があります。 デモクラシーの前進を目指すUCRCAは、この時代になすべきことを考え続け、小さくとも、できるところで、具体的なアクションを続けます。
被災地気仙沼・大島の防潮堤建設の状況 東北の復興は、防潮堤の建設という公共事業によって進行しています。気仙沼大島の場合、およそ島の外周海岸線のおよそ3分の1、建設工事延長8,000メートルを高さ平均約7メートルの防潮堤(ないしは護岸堤)で海を遮ることになります。西側の浜はなくなるといってよいでしょう。 この大島沿岸の堤防工事には139億円が投資されます。一方、仮設住宅で5年を暮らした島民は復興公営住宅に移りました。島から句を送り続けてくれる熊谷すん子さんも、ひとりぐらしになりますが、新居に移りました。
この防潮堤建設にはいくつか大きな疑問があります。島民不在の、住民参加のない、早すぎた決定の問題、工事予算の算定と事業入札の不分明さ、いっさいの事業変更を不可能とする行政の姿勢、島民の問題意識を結集できない民力の弱さとあきらめ、市議会議員の分裂と非力など指摘することは容易です。
また事業の評価がどうなされていくのかも明らかではありません。これらひとつひとつを追い続けることが必要ですが、我々、資金もない、外部の者が、なにをやれるのか、次年度も模索を続けます。
2030年までに、高齢者の介護人材の不足は確実です。この解決に、外国人を受け入れられるかが、日本にとっての喫緊の課題となっています。日本は移民政策については極めて閉鎖的であったので、これがいわば日本社会の安定に寄与してきたと言えるのですが、しかし今、現実には足元において、コミュニティーにおいて、急激な高齢化と、人口減少に対応する手立てとして、移民の受け入れを考えざるを得ない状況にあります。 UCRCAは長く、モンゴルの(日本語能力の高い、女性たちを、日本で介護士として働いてもらうことが出来ないか、考えてきました。その検討の中で、外国人技能実習制度を適用することが一つの方法ということが見えてきました。今回、制度の拡充が決められたことを受けて、この経過と意義、政策的展開を、阿久津研究員にまとめてもらいました。来年度のUCRCAの新たな展開の指針となります。
2016年は政治・社会の世界において、欧米のヒューマニズムの歴史とデモクラシーというシステムに極めて大きな疑義が示された年といえるでしょう。EUへの難民移民の急増がヒューマニズムへの疑義を醸成し、EUでは反移民の極右政党が勢力を伸ばし、英国ではEU離脱の決定がなされました。そして、トランプ氏の当選は、デモクラシーが衆愚政治に陥り機能しなくなったのではないかという疑念を、醸成しています。 これらの歴史の後退の背後にあるのは、客観的事実と理性・論理によって議論を行い、政治・政策決定をするという、市民社会の基本原理が揺らいでいるという社会状況だと思います。
モンゴル国は2016年現在、人口300万人(世界191位)、GDPは12,2兆ドル(世界118位)、実質成長率は2.3%(世界130位)、GDP/per capita 4,065ドル(世界124位)、失業率8.3%(世界96位)の、民主化市場化移行国(であった)といってよいだろう。モンゴルが、様々な世界国家比較項目において、第一位を取るのは、人口密度の低さにおいてである。(人口密度1.8人/平方㎞)首都ウランバートルの郊外は、ステップと砂漠、空の青さとハーブの香り、羊の群れとゲルが点々とつらなっている。そしてウランバートルには近代的な高層ビルが林立し、車の喧噪と排気ガスが充満している。
社会主義計画経済から市場経済と民主化へと26年の移行を経た。2016年夏の総選挙においては人民党(以前の人民革命党が圧勝し、4年間の民主党政権が大敗を喫した。モンゴルは政治社会の民主化と市場経済化において、途上国の優等生と称されるような極めて興味深い社会と政治と経済の変化の過程を辿ってきた。幾度となく、岐路に立っていると言われたが、2016年はまさに歴史的にも分岐点となることだろう。UCRCA は、2016年秋にこのモンゴルを訪ね、その変化に関与する方途を考えた。
日本社会は戦後70年、人口増加をエネルギーとして、世界にも稀な社会経済の発展を遂げた。 とくに1990年代まで約50年間、大規模な自然災害を受けることなく、極めて効果的な国土開発が可能になった。 しかし1995一方で日本は近年、顕著な人口動態の変化:人口減少、少子化、超高齢化を 迎えている。 この多災害と人口減少超高齢化という大きな2つの変化を前にするとき、これまでの成長を期待し、信奉する「開発」の計画理念と計画手法は、 1900年代後半を特徴付けた、予測と想定可能(と考えられた)都市と住宅政策の理念とは根本的に異なる。 衰退と脆弱さを増す社会において、人命を守り、地域を保全する計画のビジョンとアクションを提示する。
熊本地震の被災で亡くなられた方々のご冥福をいのり、いまなお収束の見えない被災地の方々に心から無事を祈ります。 日本という小さな島国を近年襲う大きな自然災害の数々にはやりきれない思いがします。どこで何が起きても想定外とはいえなくなっている時、それぞれが自分を守ることの必要性と、どれだけ助け合えるかが問われるのでしょう。 被災した多くの高齢者の姿は、私たちの今日の姿であり、日本のこれからの問題を様々に映し出しています。 遠く離れている者には、やれることは限られているけれど、しかし諦念でなく、東北を忘れることなく、少しでもやれることをやり続けることが大切であると考えます。 シルバー・コミュニティーのためのデータベースにUCRCAの身障高齢研究者の回復期リハビリテ―ション病院の記録を入れます。高齢者の自立の最も基礎となる行為を具体的に検証する事例となるものです。
復興の過程:ある新議員の議会報告第2回
椿の島から2
復興5年被災地への関心と支援自体も風化する中で、着々と進行する東北震災被災地の防潮堤建設。 この実態はマスメディアにも忘れられようとしている。 しかし一方で、被災地のひとびとは、吾らの命を守るものは、海を隔てる巨大な防潮堤であったのかと、疑問と、憤りと、悲嘆とあきらめに陥っている。 この事業はこれでいいのか、環境的な破壊と失敗に瑕疵になるかもしれない 。 国家的事業に今一度の再検討はありえないのか。
この防潮堤建設に早期から疑問を呈してきた、熊谷雅裕氏のこれまでの記録を掲載させてもらうことにした。 日本の公共事業の決定と遂行の過程と、相変わらずに、無視軽視されている住民の姿と、参加民主主義の現実が見えてくる。
2015年は日本の敗戦70周年。戦後の日本を生きてきた戦中、戦後 世代にとって、時代をふりかえり、また限られた残りの日々に向かいながら、 これでよかったのか、これでよいのかを問う年であったと思う。 いま、2016年を迎えるにあたって、多くの限りない課題の中で、 UCRCAが取り組める課題2つに焦点をおいていきたい。
日本の政策形成と議論において、欠落しているのは、基本的なデータである。データには政策の決定に必要な、統計、予測、評価、指標が含まれる。近年の米国の社会変革のための政策評価を検討し、ことにコミュニティー開発のための近隣指標システムに着目する。近隣指標システムの開発はUCRCAが今後取り組むにふさわしい、意義あるテーマであると考える。
フランス、パリでのテロ、トルコでのロシア機の誤爆とその後の一連の戦闘、シリアから逃れ出る難民を迎えるヨーロッパの苦悩。ISというテロ集団によって、冷戦後、弱々しくも秩序を民主化への歩みに見いだそうとした世界は、いま、新たな「戦時態勢」に入っている。日本は国家としてどう対応するのか。日本の知的政治的状況は、この問題に限らず、複雑多様化する社会問題に対してまったく不十分である。多くの国家レベルの法制、安全保障から、地方再生のための地域開発にいたるまで、国家の政策の課題と優先性を議論するシステムと産業がない。すなわち、国民の合意形成がないままに、政策が決定されている。あらゆる社会課題において国民議論がますます重要になる中、合意形成のためのシステムが整えられなければならない。数年来、UCRCAは日本にCBOをつくることを主張してきた。これは一つの合意形成のための方途である。今回、統計研究会のサポートを得て、独立財政機関を考える特集が組まれた。全文はhttp://www.isr.or.jpのEco-Forum Vol.31 No.1を参照願いたい。このオリジナル・ペーパーが「デモクラシーと政策分析」である。
米国の政策議論を見るとき、政策シンクタンクとその政策研究評価活動が、よくも悪くも強力な持続的発展があることを示唆される。20年余この展開を学んで来た政策研究者にとって、今更ながら、政策産業の発展と民主主義の問題を再考する。
日本の国防政策が議論される中、奇しくもYoutubeでロバート・マクナマラのドキュメンタリーフィルム「戦雲」(2004年)が上映されていた。 ベトナム戦争における米国政府の判断の間違いと自身の責任明らかにしたマクナマラ回顧録を基にしたもので、アカデミー賞受賞作である。 それを機に、マクナマラから託されたメッセージを思い出した。ここに取り上げておきたい。
米国の政策産業の興隆を追ってきた政策研究者として、近年 再び日本での関心を喚起するために、書いた論文2つとPPTのプレゼンテーションを取り上げる。
CGP助成による、ハワイEast West Centerの「日米草の根交流プログラム:被災後の地域復興における市民参加」プロジェクトが始められた。 UCRCAはプログラム・パートナーとして参加する。米国はカトリーナ台風を受けたNew Orleans、アイク台風を受けたGarvestonの2都市、日本は東北津波被災地の宮古、阪神淡路震災の神戸の2都市の、NPO交流である。 グループの日本の理解のためのプレゼンテーション:Civil Society in Japanをまとめた。今後、UCRCAのアクション・リサーチの課題として、日本のまちづくりを、コミュニティー開発という計画的視点から整理することが有効と考える。
mproving Think Tank Management:Practical Guidance for Think Tanks,Research Advocacy NGOs, and Their Fundersが先月アメリカで出版された。 シンクタンク研究の世界的な第一人者である Raymond Struykの最新著である。 政策研究組織、シンクタンクを移行国途上国でいかに創出し、持続的なものとして、社会の進展に寄与するか、具体的なマネージメントから解明する。 シンクタンク研究を立ち上げた25年前のアーバン・インスティテュートの同僚として、この出版は感慨深いものがある。翻訳が望まれるが、今の日本のシンクタンクをめぐる状況では、この実務的詳細な経営分析への需要は限られると思われる。UCRCAでは可能なところで少しずつ抄録紹介をするつもりである。 出版はResults For Development Institute
行政や自治体で行われてきた政策評価は本来の評価の目的にかなっているのか。評価のガバナンスを評価するあらたな視点を切り開く。
UCRCAはそのミッションとして日本に独立財政機関(IFIs)の設置を、CBOに名を托して、主張してきた。 当論文は先進国で進むIFIsの中で8か国8機関をとりあげ、日本への指針を見出す。
米国の政策研究と評価の発展において、住宅政策は極めて重要な対象領域であった。 近年は教育や雇用、医療政策がより注視されるが、1970年代の政策研究の発展は住宅政策の検証から促進された。 研究者の政策研究の数編を掲載する。
高齢化と少子化の日本にとって、介護士の確保は極めて重要な課題である。 UCRCAのプロジェクトのII.シルバーコミュニティーのためのデータ・ベースに「若杉幸子:高齢者等のために地域で働く介護福祉士」を載せた。
現在政府においては、日本の様々な産業に外国人労働者を受け入れようとする動きが加速している。 その中に、介護人材も含められつつある。 UCRCAは長くモンゴルからの介護人材の受け入れを提唱し模索してきた。 今回Adjunct Fellow 阿久津大輔研究員がこの現状をレポートした。 UCRCAの新たなアクションにつなぐつもりである。
UCRCAは長く、日本の政策形成力、特に予算政策の形成に構造的な欠陥があることを指摘し、国会の政策分析評価能力の 強化を訴えてきた。 2015年3月現在、会期中の国会の予算委員会の内容の質の低さは、日本のデモクラシーの未熟さと問題の深刻さを明瞭に現わしている。 一方、米国の議会予算局は今年設立40年を迎えた。この組織の歴史と果たしている役割と機能は、米国のデモクラシーを支える要ともいえる。 これは米国に限らず、また大統領制か内閣制かを問わず、他の民主制度をとる先進諸国においても、途上国においても、極めて重要な統治のためのシステムと言え、OECDが推奨する意味がある。 10年以上にわたってCBOを学び続け、「CBOを日本に」と主張してきた著者にとって、40才CBOへの評価は、再度の挑戦の励ましとなる。 今年もUCRCAはこの課題に取り組む。 (UCRCA Archives. 政策メッセ2013年度ワークショップ終了報告 等参照。)
日本社会は社会の問題を解決する能力に欠けてきた。その原因のひとつは、大学と社会の関係(のなさ)がある。日本の高等教育機関は既存の思考・学門体系に依拠して、それを細分化し、純化することで専門性を確立した。日本の科学者研究者は、社会の需要に左右されることなく存在する方が、より優れた研究と考えてきた。これは意識的無意識的にも男性中心の学門、科学・工学という「日本文化」に支えられてきたと言ってい。21世紀はその自然災害と巨大な人口的災害が増大するに従い、基礎科学・社会科学は、社会の課題野解決に関与し応用されなければならない。 この応用と関与こそが社会改革のダイナミズムの源泉である。細分化された学問領域を繋ぎ橋渡しするのが政策研究であり、政策産業である。この新産業には人口の半分を占める女性の頭脳による政策研究者の膨大な参加が不可欠である。2005年に著者は当時特任教授を勤めていた大阪大学大学院工学研究科において、日米女性研究者の研究環境を視野に入れながら、阪大工学部の女子学生と女性研究スタッフの増加拡大を目指した提言をまとめた。安倍政権が女性の活力を検討するならば、10年前のこの分析と提言は、今なお、本質的な女性のリーダーシップを確立するための示唆にものと思う。
政策研究と評価は、デモクラシーにおける政策形成の基盤である。 これを産業として確立することは、デモクラシーの発展にとって不可欠である。 事業費1%政策評価保留の成果に次いで、2014年度の日本評価学会大会に 提出した「米国シンクタンク産業の動向とプログラム評価」において、近年 さらに強化されるシンクタンク産業を概観する。
日本は敗戦後から70年、経済発展を基にして基本的には歴史的にも稀有な社会的政治的安定を保ってきた。しかし、21世紀に入って、日本は人為的作用によるの地球環境の劣化と地殻変動による自然災害の増加時代を迎えている。これらがどのような時間軸をもって国土と地域コミュニティーに影響するのかについては、科学的な究明を待たねばならない。日本は同時に人口減少と急速な少子高齢化という人的社会的構造変化が起きており、これに対応しつつ、この変動に立ち向かわなければならない。 2011年の東日本大震災を復習し、新たな復興への道筋を探る。
高齢社会の課題には、介護を必要とする人口の増加にともない、多様な介護サービスを提供する施設と制度の整備と、そしてこれらを支える労働力である「地域の高齢者等のために働く人材」の確保がある。具体的には地域の高齢者等を対象に働く場が広がった「理学療法士・作業療法士・言語聴覚士、社会福祉士・介護福祉士」と、介護保険法の施行と共に新たに誕生した「介護支援専門員・訪問介護員」と呼ばれる人々である。
産業革命を推進した工場労働者:ブルーカラー・ワーカーに代わる、高齢社会の介護サービス産業の担い手は、いわば「シルバー・カラー・ワーカー」と呼称することができるのではないだろうか。そしてこのシルバー・カラー・ワーカーは今後の地域経済と雇用の中心となる。
介護福祉士はその主要な担い手であり、近隣アジア諸国から求められる就業需要の多くを占めている。
UCRCAは以前より、大量の介護福祉士の必要性を視野に置きながら、モンゴルからの介護福祉士の導入の可能性を探ってきた。同時に、介護福祉士の職業としての特性と機能役割の確立と権利の確立について、社会的な議論が必要とされると考えてきた。
UCRCAの高齢社会計画と研究は、自身が高齢障害者となり、その具体的体験の上に介護政策の分析評価を展開する上級研究員によって進められているが、ここに最新の研究の一端を発表する。
日蒙経済連携協定(Economic Partnership Agreement, EPA)が締結に向けて大概の合意が形成がされたという。 両政府の長い交渉の成果と思う。ただUCRCAが望んでいた、看護師介護士等医療福祉分野での人材の養成と授受は結局含まれなかったのは残念である。
ではこのモンゴルはどんな国なのだろうか。モンゴル国、特に首都ウランバートルは、資源国としての 成長の希望と同時に、都市住宅、環境医療福祉など、多くの問題が山積する。EPAで関心を強くしたモンゴルの姿を、UCRCAの長い交流をもとにモンゴル理解のためのプレゼンテーションを掲載する。
2014年6月、ウクライナ、エジプト、タイ、そしてイラク、シリアなどの政治と社会の状況を報道に見るとき、大きくは民主化へのうねりでありながら、前時代の戦争の世紀に振り戻されるような、民族間,異教間とテロリズムの新たな対立と闘いの衝撃的事象が噴出している。これらは自由と人権と民主主義の前進の行程とは程遠く、その苦渋に満ちた時代の、国家を統治できない国家のもとで、常に犠牲となるのは弱き人々、市民、母と子供たちであることをまざまざと知らされる。国家を超えるかと思われた瞬時があったが、国家の健全な統治能力こそがいまだ多くの国にとっての基本課題である。
今の途上国の多くをみれば、日本の民主主義はその70年の歩みにおいて、少なくともこれほどの混迷の過程をたどることはなかった。それは幸せなことであったが、しかし日本の政策状況はこのままでよいとは言えず、決して楽観を許すものではない。それは現在および、将来の日本の民主主義が選択しなければならない政策課題は複雑かつ重大になっているにもかかわらず、―そのもっとも緊要な優先課題は、憲法改正と憲法解釈に関する議論である―、議論をし尽して政策を決定するという経験に未熟な日本の「民主的社会」が、この難関を切り開けるのかは極めて疑問であるからである。70年、他に例を見ない安定的な発展を遂げた日本の民主主義と制度は、今最大の岐路に立っていると言えるだろう。
ユーロ圏諸国は経済の低迷と若年者の高い失業率の中で、ナショナリズムと外国人排斥、ネオナチの台頭が顕著になっているといわれる。それぞれの国により、排斥の対象となる人種、民族が異なりはする(かなり多くの場合、アジア系コミュニティーが対象となる)が、そこに共通するのは徐々に移民を受け入れがたくする傾向への支持が高まっていることである。 移民国家と言える米国においても近年いわば開かれた移民政策から、移民を閉ざそうとする傾向は、保守政党によって強化されている。オバマ政権とその後の政権にとっても、移民政策は重要な争点になる。 一方日本は人口減少と労働力の減少という経済からの要請から、外国人労働者の受け入れが国家の政策課題として急浮上してきた。この時代の流れに、人々はいかに対応できるか。グローバルな世界において普遍的政策課題でありながら、各国特有な国家事情に動かされる移民政策は、極めて重要な課題である。日本での展開は注視されなければならない。 ―――>PUBLICATIONS Toake Endoh 論文 参照
国家の課題と方向性は、どう決められるのか。そこに人々はどうかかわれるのか。民主主義と制度の起点である。 米国の政策議論のプロセスを見ると、そこにある意味でユニークな「政策産業」が存在していることがわかる。この政策産業は、需要と供給:生産と市場のメカニズムを持っており、小規模とはいえ、強固な経済セクターの一部を構成している。シンクタンクは政策産業を代表する。 米国のシンクタンクの中の知的なプロフェッショナルの数の多さ、政策研究者と政策アナリストたちの、自負と自信、確固とした存在は、米国の強靭さを表すといえる。この産業に従事する、老いも若きも、生き生きと政策研究の最前線を切り開く、多くの女性研究者たち。この産業こそ、民主主義をささえ、活性させる、源泉である。この産業セクターの創成は、日本とって不可欠のものである。UCRCAのミッションはこのセクターを代表する独立シンクタンクの創成にあるが、その根本にある期待は、日本の民主制度と民主主義の強靭化にある。国土強靭化は民主的市民社会の強靭化とともにしかできない。
米国の政策決定には多くの過ちと失敗がある。ことに戦争の決定と介入において。しかしトータルとして揺れ動く判断を超えて、揺れ動くことをやめないことにおいて、その民主主義は機能してきた。たぶん米国のリーダーシップを形成する知性は人口の1%にもならないだろう。しかし、その存在は社会の基本的な安寧につながり、人々に安心感を与える。個々人は日々自身の食べることを確保するだけで精いっぱいである。しかし国家のあり方と、その政策を考え続けている人々がいると思えることは、どれほど社会にとって大事な、いわば安全弁であるだろうか。 ―――プロジェクトIII参照
米国の独立シンクタンクBrookings Institutionは米国のデモクラシーと政策形成に多大な貢献をしてきた。ことにBrookingsが示した民主主義制度での政策議論の方向性は「国家の優先性の設定(Setting National Priorities)」という思考の方法にあるといえる。これが最初に出版されたのは1970年のことである。 以降、多くのシンクタンクと、政府内の政策分析評価機関は、政策の選択と評価において、政策決定者に、それがどのような優先性を持つのか、優先性を説得し判断できるかを問い続けている。 米国の政策議論の40年余の歴史は、米国の政策の優先性を語り判断する能力の形成にある。社会科学においての分析し、推測する技術の発展は、データをもととした情報の量と質を高め、それを熟慮する政策議論の質を高めた。それは特に米国の予算を中心とする、政策議論に反映されている。 ―――プロジェクトIII参照
2014年UCRCAは5つのプロジェクトを推進します。
UCRCAは、独立財政機関(Independent Fiscal Institution, 以後IFI)研究を蓄積しており、その一部をIFI seriesとしてこのセクションで紹介しています。 本記事では、Publication Series 2019、2020 IFI Studiesとして公開していた資料をダウンロードいただけます。
伊勢湾台風の想い出 今年は2011年3月11日に起こった東日本大震災からちょうど10年になる。東日本大震災というと原子力発電所のメルトダウンとその直接の原因となった津波のことが思い起こされる。そしてそれと並行して思い出されるのは、わたくしの個人的な経験で、1959年に伊勢半島を襲った伊勢湾台風だ。昭和の三大颱風の中でも最大規模の台風で、地震と同時に起こった高潮の影響も相まって多大な家屋、船舶、道路、等々のインフラの喪失と死者行方不明者合わせて5,000人という人的被害を伊勢湾に面した三重県と愛知県にもたらした。
Publication Series 2020 IFI Studies 上野 宏 IFI の設立を推進するための提言:イントロダクション UCRCAは、独立財政機関(Independent Fiscal Institution, 以後IFI)研究を蓄積しており、その一部をIFI seriesとしてこのセクションで紹介しています。この最新版Publication2020は、「IFI設立を推進する会(仮称)」による2020年7月15日のIFI設置提言(以下のPDF3文書)を紹介します。この推進する会(仮称)には、UCRCAの上野真城子と上野宏が参加しています。ただし、以下のPDF3文書での提言主体は「IFI勉強会」となっております。理由は、IFI勉強会が2020年9月11日に、名前を「IFI設立を推進する会(仮称)」へ変更したためです。
幕が下りてから2 2020年7月30日 浅沼 信爾
コートジボワールの「二色海岸」 今年5月にアメリカで警官によるジョージ・フロイド殺害事件がおきて、アメリカの各地でブラック・ライヴズ・マター運動が起こった。人種差別を断罪するほとんど自然発生的な運動だ。 改めて人種差別の問題を突きつけられて、わたくしが勝手に「二色海岸」と呼んでいるコートジボワールのビーチを思い出した。
はじめに
新型コロナ肺炎はいまだに世界中で猖獗をきわめているが、発症の地となった中国の武漢市は1月23日から2ケ月半にも及んだ封鎖―中国語では「封城」―が4月8日に解けて、1100万市民の生活はようやくもとに戻りつつあると伝えられる。この封城は外に向かっては、飛行機は発着せず、列車も停まらず、長距離バスも運行停止、隣省との境界には検問所が設けられ、高速道路のインターチェンジも閉鎖という徹底ぶりであった。
「正しく恐れる」とは、明治中期から昭和初期の物理学・地震学の権威で随筆家としても知られた寺田寅彦(1878年~1935年)の言葉を元にした箴言(しんげん=戒めの言葉)。浅間山の爆発についての随筆の中で、寅彦は、『こわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた』と記しているそうです。この「正当にこわがること」が「正しく恐れること!」という箴言となったようです。(上野宏注、出典はgoogle)。
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